創立年月不詳。安閑天皇(第二十七代 在位五三~五三五)の頃久能山 山麓の有度浜に天女が降現し天女の舞いを舞ったと伝えられる。 社伝によると、その頃中平松村に住む長右衛門という者が清水で塩を商い、 その帰り道に駒越村の浜に於て松の木に羽衣がかかっているのを見つけ家 に持ち帰った。天女は羽衣を取り戻すために、その夜長右衛門の許に来て 仕える事を望んだ。主の長右衛門は女が天女であることを知らず家に住ま わせる事三年あまり、ある朝、前の浜に材木が打ち上げられたので長右衛 門はじめ村人全員が浜に拾いに出ている隙を伺い、天女は羽衣を手に入れ 去ろうとした。しかし永く下界に暮し身が穢れていたので飛翔の術の力が 尽きてしまい、氏神である八幡宮でお祓い(お清め)をし霊力を復活させ ようとしている時に長右衛門が帰って来たことで天女は事情を語り誓って 言った。「私を氏神に祀れば永く当村の守護神になろう。」長右衛門は村人と図り、天女を氏神として祀り、中平松村天人社と称した。そこで天女は