ふくじゅさんとうりんじ
茨城県牛久市新地町203
曹洞宗福寿山東林寺は新地町地内の寺院だ。東林寺は室町時代中期(嘉吉3年・1443年)に牛久城主の尾上(岡見家と同族)治胤が、舌状台地の一画に、大雄山最乗寺(現神奈川県南足柄市)より、天助高順和尚を迎..
曹洞宗福寿山東林寺は新地町地内の寺院だ。東林寺は室町時代中期(嘉吉3年・1443年)に牛久城主の尾上(岡見家と同族)治胤が、舌状台地の一画に、大雄山最乗寺(現神奈川県南足柄市)より、天助高順和尚を迎えて開山した。ここには後に尾上(岡見)家によって東林寺城(新地城)が築かれた。 東林寺開山24年後の応仁元年(1467年)に京都を中心舞台として戦われた大乱が起こった。「応仁の乱」と言われるこの戦いは全国に波及して、戦国の世になった。 戦国乱世の嵐は、常陸国は言うまでもなく、牛久の地にも及んだ。岡見(尾上)家の宗家は足高城(現伊奈町)におかれていた。その尾上(岡見)家危急存亡の秋を、権謀術数をめぐらして切り抜けた家老に栗林義長という人物がいた。義長は「女化原(元は高見ヶ原といわれた)狐伝説」にも登場する。東林寺には義長の位牌がまつられている。