さとみやたかくらじんじゃ
京都府綾部市里町向屋敷34
後白河天皇の第2皇子である以仁王が源平の戦いで宇治で敗戦したのち、綾部市内の吉美地区(現在の里宮高倉神社)へ落ち延びてこられました。 里人は尊い王を慰めましたが、矢傷が悪化し、治承4年6月9日に2..
後白河天皇の第2皇子である以仁王が源平の戦いで宇治で敗戦したのち、綾部市内の吉美地区(現在の里宮高倉神社)へ落ち延びてこられました。 里人は尊い王を慰めましたが、矢傷が悪化し、治承4年6月9日に29歳で逝去されました。 逝去後、この地に里宮高倉神社としてお祀りされました。
以仁王
無料
なし