きるたじんじゃ
三重県三重郡菰野町切畑579
当社の創祀については、詳らかにし難い。鎮座地の切畑は『和名抄』の「朝明郡田光郷」に属し、伎留太は切畑に通ずると度会延経の『神名帳考証』や『朝目明賦』等に見える。近江国に通じる山中にあり、古来近江より..
当社の創祀については、詳らかにし難い。鎮座地の切畑は『和名抄』の「朝明郡田光郷」に属し、伎留太は切畑に通ずると度会延経の『神名帳考証』や『朝目明賦』等に見える。近江国に通じる山中にあり、古来近江より八風峠を越え、朝明川に沿って北勢の平野に出る要衛に奉齋されたものと考えられる。このため、『延喜式』神名帳式の伊勢国朝明郡二四座のうちの一座として列せ羅れている。しかしながら社伝によれば、戦国時代には牛頭大王と称したのは永禄年中の織田信長の兵火をさけるために唱えたと伝えている。近世には、近郷の氏神として人々の崇敬をあつめていた。明治六年(一八七三)村社列格。同四一年同村内の無格社山神社同天神社を合祀したが、翌四二年五月には、多比鹿神社に合祀された。しかし旧社殿はそのまま残され、氏子崇敬名達の熱望により、昭和二四年(一九四九)二月再び切畑村の旧社殿に分祀され、宗教法人として届け出神社本庁所属の神社として認可を受け、現在に至っている。
《主》苅田姫命, 《合》大山咋命,素盞嗚命,菅原道真
延喜式内社
八風両社はっぷうりょうしゃ
夏祭(例祭)及び三大祭
あり
なし