鎮座地御堂(みどう)は槻川(つきがわ)沿いに開ける山村である。この地は古くは大河原と称したが、鎌倉末期の正和年間(1312~1317)に大河原神治太郎光興が日蓮上人の御影(ぎょえい)を安置する法華堂を創建したことにより地名を御堂としたとも、遠流(おんる)となった皇子を当地に奉葬した御堂があったことにより御堂としたとも云われ、早くから開けた土地である。 口碑によると、当社は氏子の島田一家(いっけ)の屋敷神であったが、後に村持ちになったと伝えられ、『新編武蔵風土記稿』には、当社について南向き社殿、神体は衣冠の立像・金山彦尊立像・愛宕立像の三体、例祭は9月15日、吉田家の配下嶋田豊後が奉仕するところとある。 現社殿の造営については、現存する棟札から寛政3年(1791)九月に氏子中で再営したものであることが知られる。更に明治元年(1868)には改築が成された。この時の棟札も現存し、「當村総社八幡大神宮」と書かれている。尚、この時の神職は、嶋田大内蔵であった。 明治7年(1874)に村社となり、昭和3年(1928)11月には字山神の山神神社を合祀し、社名を八幡神社から八幡山神社と改めた。