たいげんじんじゃ
岐阜県可児市瀬田1150番地の1
奥宮創立年月不詳。而して当地に分社創建万治二年九月二十九日とあり、爰に延宝七年十一月当社再建の棟札に依って考えるに、本宮所在の地や高山にして、且つ里を去ること十町有余なり。故に村民計り以て当地に分社..
奥宮創立年月不詳。而して当地に分社創建万治二年九月二十九日とあり、爰に延宝七年十一月当社再建の棟札に依って考えるに、本宮所在の地や高山にして、且つ里を去ること十町有余なり。故に村民計り以て当地に分社せしゆえなり。
当地に住み始めた古代の人々は東方に見える奥山の上に大県大明神を祀り、産土神として崇めました。平安時代中頃には京都の石清水八幡宮の御分霊を迎えて一緒にお祝りしました。更に室町時代の後期には国常立尊を合祀し、神社の名も太元宮と改め 観祭...
国常立尊(くにのとこたちのみこと) 応神天皇(おうじんてんのう)
4月15日近い日曜日