ひえだじんじゃ
兵庫県揖保郡太子町鵤926
鵤外十二ケ村の部落民が代々氏神として尊崇奉祀してきたもので、その縁起は抑々、氏子部落の地は人皇33代推古天皇の戌午の年6年(598)に、聖徳太子が法華勝鬘経を講ぜられ、その布施として帝より賜った地を..
鵤外十二ケ村の部落民が代々氏神として尊崇奉祀してきたもので、その縁起は抑々、氏子部落の地は人皇33代推古天皇の戌午の年6年(598)に、聖徳太子が法華勝鬘経を講ぜられ、その布施として帝より賜った地を斑鳩寺、中宮寺、片岡僧寺の三寺に分納せられたもので、即ち佐勢の地五十万代の内である。 故にその当時各寺より、寺地管理並に調物微収のため、多くの吏員を移住又は派遣し、其の内に寺地管理のため大和より当地に移住して来た吏員が此処に稗田氏族の祖神を奉祀する媛田神社を奉祀し、それを当地の人々の崇敬する所となり、代々氏神として奉仕する。 遠く推古時代に草創されたものである。但し草創当時の祭神は天鈿女命、猿田彦命の二神であったが、後世になって天鈿女命の子孫である功業高き阿礼比売命(稗田阿礼)を奉祀することになる。 神仏混淆時代になってからは斑鳩寺の権勢に圧せられて社勢が挙がらなかったが、明治維新以後神仏分離が確立し、明治7年(1874)村社に列せられ、後郷社に列せられる。(兵庫県神社庁 )
主祭神 稗田阿礼命 配祀神 素盞鳴命
旧郷社
10月第2土曜日・日曜日