あらしやまたきじんじゃ
大分県玖珠郡玖珠町大字山浦116
平安時代、天延三年九月、小松女院と十一人の侍女は、清原正高公を京都より慕い、三日月の瀧のほとり まではるばるやってきました。この地で一人の老樵に会い正高公の消息を尋ねると、すでに正高公は、矢野..
平安時代、天延三年九月、小松女院と十一人の侍女は、清原正高公を京都より慕い、三日月の瀧のほとり まではるばるやってきました。この地で一人の老樵に会い正高公の消息を尋ねると、すでに正高公は、矢野 倹行兼久の娘を娶って長野の船岡山の館に住んでいると言うことをききます。詮なき事と、小松女院と十一 人の侍女は三日月の瀧に身を投じます。老樵も後でこの事を知り身につまされこの瀧に入水します。 清原正高公は女院と十一人の侍女を祀る瀧神社の守護神として、社を建てこの老樵を守りました。 それ以来、山林、木材関係者の信仰厚いところとなりました。 老樵の遺骨は筑後大石に流れ着き、当地にも木樵神社として毎年盛大なお祭りがなされています。
約15分
有り