しょうれんじ
愛知県江南市木賀本郷町字西152
寛文年間(1661年 - 1673年)、近隣から東野に移った勝山武兵衛が「三十番神」を祀った堂・「三十番神宮」を建てたことがはじまりだという。享保元年(1716年)には了道法師が住職となり、正式に寺..
寛文年間(1661年 - 1673年)、近隣から東野に移った勝山武兵衛が「三十番神」を祀った堂・「三十番神宮」を建てたことがはじまりだという。享保元年(1716年)には了道法師が住職となり、正式に寺院の体裁が整った。 延享2年(1745年)に現在地へ移転して草堂が建てられ、10月25日には寺社奉行・高橋喜正からの指令を受け「番神堂」と公称するようになった。村人には番神宮と呼ばれ、五明村住人の神人間宮権太夫なる人が祭典を行っていた。のちにその祭典は仏教色の強いものとなったが、近隣住民の信仰は篤く村の氏神の如く崇拝されていた。 天明4年(1784年)、堂宇が風雨のため大破したが再建された。 明治時代に入ると、国家神道のもとで神仏習合を良しとしない政府の趣意によって仏教施設の「祖師堂」と称するようになった。 明治24年、濃尾地震により三十番神が祀られた堂は倒壊したが、番神像は一体も壊れず、それに乗じた窃盗にあうこともなかった。 明治42年に現本堂が完成した。 昭和17年3月31日、天鼓山昭蓮寺と寺号を定め現在に至る。
天鼓山(てんくざん)
日蓮宗
1661年 - 1673年(寛文年間)
勝山武兵衛
天鼓山昭蓮寺
愛知県江南市駅より0.8km
無料
有り(境内北、カノア駐車場の一部)