あこうじょう
兵庫県赤穂市上仮屋
赤穂城は、正保2年(1645)に常陸国笠間から入封した浅野長直が、近藤三郎左衛門正純に築城設計を命じ,慶安元年(1648)より13年以上に亘る歳月を費やし、寛文元年(1661)に完成したものです。 ..
赤穂城は、正保2年(1645)に常陸国笠間から入封した浅野長直が、近藤三郎左衛門正純に築城設計を命じ,慶安元年(1648)より13年以上に亘る歳月を費やし、寛文元年(1661)に完成したものです。 赤穂城の前身である加里屋城は文正元年(1466)、当時の播磨・備前・美作守護赤松満祐の一族である岡光広によって築かれたのが始まりとされます。 天正年間(1573~91)宇喜多秀家が岡山城(岡山県岡山市)の支城として利用し、慶長5年(1600)に姫路藩領になると池田長政(姫路藩主池田輝政の弟)が赤穂領に配され、改めて大鷹城を築城しました。 慶長18年(1613)に岡山藩領となり、元和元年(1615)からは岡山藩主池田忠継の弟である池田政綱が赤穂領3万5千石与えられ、岡山藩から独立し赤穂藩を立藩します。 正保2年(1645)、2代藩主輝興が改易になると一時備中松山藩主水谷勝隆の預かりとなりましたが、浅野長直が笠間藩から5万3千石で入封します。前任の池田氏は城持大名ではなかった為、慶安元年(1648)に改めて幕府から許可を得て赤穂城を築城し寛文元年(1661)に一応の完成をみています。 元禄14年(1701)、元禄赤穂事件により浅野家が改易になると一時龍野藩主脇坂安照預かりとなり、元禄15年(1702)永井直敬が烏山藩(栃木県烏山市)から3万3千石で入封します。 宝永3年(1706)、直敬が飯山藩(長野県飯山市)に移封になると、江原藩から森長直が2万石で入封し明治維新まで森家が13代藩主を歴任します。 赤穂城は変形輪郭式の海岸平城で、洋風城郭である五稜郭に似た特異な形状になっており、多方向同時射撃が可能になっています。天守閣は築かれなかったものの天守台は設けられ、小石の大名にしてはかなり積極的に城郭が計画されました。
JR播州赤穂駅から徒歩20分
無料
塩屋門跡近く 西駐車場(無料) 清水門跡近く 東駐車場(無料)
あり