ほんちょうじ
奈良県吉野郡大淀町大字中増1441
寛文10年(1670年)に記された良玄の由緒書によると、本長寺があった場所は観音像安置の霊地であったが、後に衰退し万治2年(1659年)に蓮長寺3世、世雄院が寺院を建立。観音像安置の古跡ということか..
寛文10年(1670年)に記された良玄の由緒書によると、本長寺があった場所は観音像安置の霊地であったが、後に衰退し万治2年(1659年)に蓮長寺3世、世雄院が寺院を建立。観音像安置の古跡ということから、観音菩薩の様々な形態変化を表す「普門示現」を引用し、山号を普門山とした。 現在の本堂は文化8年(1811年)に9世日道の再建。妙見堂は明治7年(1874年)3月に吉野山十方院より古堂を山門を含め移転したが、明治10年の台風で大破し、翌11年に再建されたものである。 なお、令和3年に新しい本堂が再建される。
普門山
日蓮宗
万治2年(1659年)
日蓮上人像
蓮長寺3世・世雄院
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