しげしじんじゃ
山口県防府市台道422
飛鳥時代の天武天皇十三年(六八五)、日津喜麻呂豊国宿祢が奉祭せる守護神を、大股の里の住人下津五郎万正好の要請により、下津令の里(通称踊り場)に社殿を創建し、鎮斎したものという。以来、豊国宿祢の子孫で..
飛鳥時代の天武天皇十三年(六八五)、日津喜麻呂豊国宿祢が奉祭せる守護神を、大股の里の住人下津五郎万正好の要請により、下津令の里(通称踊り場)に社殿を創建し、鎮斎したものという。以来、豊国宿祢の子孫である林氏が、代々奉仕するところとなる。その後、台道地区の鎮守として尊崇されていたが、室町時代の応永年間(一三九四~)、台道村を二分割し、旧山陽道の北側は小股八幡宮を奉祭するところとなった。それ以前の建久二年(一一九一)、当社は下津令より現在地(繁枝)へ奉遷され、跡地には「八幡宮旧蹟」と刻した石碑が建立されている。明治四十一年(一九〇八)、当社へ、厳島神社(岩渕)・河内原神社(河内)・相生社(下津令)・住吉社(高松)・恵比須社(市)・津山社(長沢)以上六神社(当時の村社)を合祀した。当社の拝殿には、毛利元昭公筆の「繁枝八幡宮」掲額がある(旧村社)。 山口県神社庁より。
誉田別大神
685年
有り 桜並木側から入れます