おだにじ
滋賀県長浜市湖北町伊部329
如意輪山小谷寺は、戦国時代浅井氏の居城だった小谷城の登山口にある真言宗豊派の寺院。寺伝では、白山を開いた泰澄によって、神亀5年(728)に創建されたとされる。本尊は金銅声製の如意輪観世音菩薩、また..
如意輪山小谷寺は、戦国時代浅井氏の居城だった小谷城の登山口にある真言宗豊派の寺院。寺伝では、白山を開いた泰澄によって、神亀5年(728)に創建されたとされる。本尊は金銅声製の如意輪観世音菩薩、または弥勒菩薩像として尊崇されている(長浜市指定文化財名は、金銅菩薩半跏像、朝鮮からの渡来仏との説あり)。 「淡海木間攫」〔寛政4年(1792)成立〕によれば、もともと「常勝寺」と称したが、中興開山勢伝法印の時に、浅井亮政の祈願寺として「小谷寺」と改めたとされる。また、天正元年(1573)8月には、織田信長の小谷城攻撃によって、寺内ことごとく焼失したといわれている。 天正元年9月1日、小谷城主だった浅井氏が滅亡し、織田信長から羽柴秀吉に湖北の地が与えられる。本寺は小谷城をしばらく居城とした秀吉によって、手厚く保護された。天正4年(1576)に、秀吉は小谷城の寺地境界を定め、天正19年(1591)には、高44石余の所領を朱印状で与えている。以後、この所領を「朱印地」と呼び、江戸時代を通じて小谷寺の中核所領となった。 江戸時代の寺領は成就院・身性院・明蔵院・円蔵院・普門院、そして学頭・明王院の6坊があり、下司総持寺(長浜市宮司町)の末寺であった。 (案内板より引用)
如意輪山
真言宗
真言宗豊山派
如意輪観世音菩薩
如意輪山小谷寺
びわ湖百八霊場第37番札所 近江准四国第44番札所 伊香三十三観音番外札所 びわ湖七福神のひとつ(大黒天)
200円
有り