けいしょういん
静岡県富士市中里1446
慶昌さんのゆうれい寺
江戸時代初めの頃の話。
教化のため諸国を巡っていた禅僧・巨山存鯨が当地を訪れた折、寺で一夜を明かそうと立ち寄った。しかし天念寺という名のその寺は久しく人が住んだ形跡..
教化のため諸国を巡っていた禅僧・巨山存鯨が当地を訪れた折、寺で一夜を明かそうと立ち寄った。しかし天念寺という名のその寺は久しく人が住んだ形跡はなく、荒れるままになっていた。
何かの縁とそのまま本堂で座禅を組んで夜を明かしていたが、深夜になって急に空気が一変した。何か得体の知れないものが近づいてくる。目を開けると、月明かりに影が一つ。存鯨が名乗ると、形のなかった影がたちまち人の形となった。それなりの身分のある侍のようであった。
その幽鬼は“成田三郎慶昌”と名乗った。源頼朝の家来であったが、曾我兄弟の仇討ち事件に連座したため自害し、寺の裏にある松の木の根元に埋められた。しかし誰も供養する者もなく、しかも寺はいつしか荒れ果てて人もいなくなってしまった。願わくば寺を再興して供養をしていただきたい。そこまで言うと、幽鬼は目の前から消えてしまった。
翌日、存鯨は里の者に事の次第を告げ、自らがこの哀れな侍の菩提を弔うこととして、寺を再興して住職となった。その後、この寺は成田三郎慶昌の名から“天念山 慶昌禅寺”と改称し、曹洞宗の寺院となった。墓苑の一角には、現在も、この成田三郎の戒名である「空忍院殿天念慶昌居士」が刻まれた墓があるという。
慶昌院の民話があり、富士市の広報ふじ(H7)によると、弘仁10年(819)弘法大師により創建、天念寺と呼ばれていました。
富士の民話で......慶昌院の幽霊(源頼朝公の家来、成田三郎慶昌の幽霊) ご住職は津軽三味線で仏道を説...
天念山
曹洞宗
文明五年(1473年)創建
聖観世音菩薩
ゆうれい寺
慶昌院のカヤ 静岡県指定の7本のカヤの中で根回りが2番目に大きい
・写写の会..(写経..写仏体験).....毎週火曜日(11:00~12:00頃まで
東名高速道路「富士」ICから20分
無料
有り