まんくらごこくじんじゃ
山口県宇部市西万倉496
幕末期の慶応元年(1865)、長州藩政府は藩主 毛利敬親公の意を受け、各郡に招魂場を設置し、春秋の祭祀を行う。 慶応3年(1868)、万倉村主 国司健之助純行は土井垰山に招魂場を設置し、禁門の変(..
幕末期の慶応元年(1865)、長州藩政府は藩主 毛利敬親公の意を受け、各郡に招魂場を設置し、春秋の祭祀を行う。 慶応3年(1868)、万倉村主 国司健之助純行は土井垰山に招魂場を設置し、禁門の変(蛤御門の変)の責を負い自刃された義父信濃公をはじめ、戦死した26名の英霊を祀った。 明治34年(1901)官祭招魂杜となり、昭和14年(1939)指定外護国神社となる。 昭和17年(1942)、口ノ坪の現在地旧城山において、村民各種団体の奉仕によって、山を三分の一位掘下げて境内地を造成し、新たに社殿を新築する。 同年4月11日遷座祭。ここに、万倉護国神社として平和の神として奉齋した。 一方、招魂場のある垰山に、平成6年(1994)車の参道を造営する。これは一般の寄附と役員の奉仕作業により完成。 同所を史跡としても活用し、若き世代の人々にも関心が持てるようにしていくことを意図しての事業であった。(公式HPより)
慶応3年(1868)、万倉村主 国司健之助純行が蛤御門の変で戦死した26名の英霊を祀った招魂場を設置。明治34年(1901)官祭招魂杜となり、昭和14年(1939)指定外護国神社となる。
国司信濃親相命 大東亜戦争まで国難に殉じせられた204柱の英霊
慶応3年(1868)
さくら祭:4月12日 みたま祭:8月9日 墓前祭:11月12日(国司公殉難の日)