だいぶはちまんじんじゃ
福岡県行橋市大字下稗田685
往古の長峡県日吉神領字サヤの地を宮山と定め、小祠を祭ったのは、奈良時代以前にさかのぼる。平安時代には、日吉(ヒエ)信仰により、吉田庄九ヶ村の鎮守として日吉神社を創建。今稗田村と言う。氏子は平尾、下久..
往古の長峡県日吉神領字サヤの地を宮山と定め、小祠を祭ったのは、奈良時代以前にさかのぼる。平安時代には、日吉(ヒエ)信仰により、吉田庄九ヶ村の鎮守として日吉神社を創建。今稗田村と言う。氏子は平尾、下久保、津積、西谷、大谷、上田、上稗田、下稗田、前田にわたった。南北朝時代(貞治二年二月九日)馬ヶ獄城主、新田義基の嫡男上野介従四位上源義氏により、筑前国穂波郡大分八幡宮を勧請、日吉神社の相殿に合祀し、城の守護を祈る。天正八年、菊月本願主仲原土佐守盛家になり社殿改築にあたり、八幡宮を本殿に、日吉神を相殿に祭る。 江戸時代初期の寛永三年、津積の大嶋に分社。更に寛永五年、上に分社。その後寛永六年上稗田に分社する。
應神天皇 仲哀天皇 神功皇后 比女大神 大山咋命
郷社
10月12日 秋祭り
筑豊平成鉄道 今川河童駅から徒歩30分
無料
あり