じょうせんじ
山形県北村山郡大石田町大字大石田丙206
町内愛宕町地内の大石山乘舩寺は、これまで明蓮社光誉運冏上人により関ケ原の戦いの4年前にあたる慶長元年(1596年)に開山されたと伝えられていました。ところが、「名越派源流志」及び「増上寺寺院由緒書」..
町内愛宕町地内の大石山乘舩寺は、これまで明蓮社光誉運冏上人により関ケ原の戦いの4年前にあたる慶長元年(1596年)に開山されたと伝えられていました。ところが、「名越派源流志」及び「増上寺寺院由緒書」(この2つの史料は、いわき市の宗教史研究家佐藤孝徳氏のご教示によります)、そして乘舩寺の元禄年間の古文書と3つの史料により、開山年代については、3つとも天文年間(1551年以前)と記録されているということがわかりました。乘舩寺開山は、これによりこれまでの通説であった慶長元年から一挙に約50年もさかのぼる可能性が出てきました。 3つの史料では、「最上出羽守藩臣」である「大葉内記高友」が開基(スポンサー)となり、事情があったので明蓮社光誉運冏上人を師として招待し開山させ、9年間乘舩寺住職となり、その後仙台の成覚寺に移り、永禄5年(1562年)10月15日に示寂(死去)したとあります。永禄5年に運冏上人が示寂したとすれば、これまでの慶長元年開山説は成立せず、乘舩寺の開山は室町末期となり、50年近く古くなります。 それでは、なぜ慶長期に開山と伝承されてきたかについては、乘舩寺では慶長元年よりも前に何らかの事情で開山年代を示す史料が失われ、しかも大石田の町づくりを計画・実行させた人物が最上義光であり、大石田を隆盛に導いたその時期がちょうどその時期にあたることから、慶長元年を開山年代にしたためと考えられます。
慶長元年(1596年)、最上義光公の軍代寺として創立。 境内には子規の句碑、茂吉の墓・歌碑あり。
大石山
水路院
浄土宗
1596年
阿弥陀如来
明蓮社光誉運冏上人
山形十三仏霊場 第2番 釈迦如来 尾花沢大石田新西国三十三観音霊場 第二番札所
木造釈迦如来涅槃像(町指定有形文化財) 木造阿弥陀如来坐像(本堂安置、町指定有形文化財) 木造千手観音立像(県指定有形文化財) 木造阿弥陀如来坐像(県指定有形文化財)
JR大石田駅から徒歩10分くらい
無料
有り