たるみじんじゃ
岡山県真庭市落合垂水552
当社は天安の創立と伝えられ、国司大神明宮と称し、古来注連山(御山・又は志見山とも云う)の山頂に祀った。天正4年(1576)5月、高田城主三浦貞広が毛利輝元に降ってのち、高田城を衛った毛利氏の軍監牛..
当社は天安の創立と伝えられ、国司大神明宮と称し、古来注連山(御山・又は志見山とも云う)の山頂に祀った。天正4年(1576)5月、高田城主三浦貞広が毛利輝元に降ってのち、高田城を衛った毛利氏の軍監牛尾太郎左衛門久盛が、元和3年(1617)3月これを現在の山麓に遷し中興した。 かつては50石の社領を有し南三郷(垂水郷、鹿田郷、栗原郷)の崇敬があり、鎌倉時代においては梶原景時、戦国時代においては尼子晴久の崇敬があった。その後慶長8年(1605)森忠政が美作国を受封して、寛永12年(1635)森内記長継が社領20石を寄進した。のち、明和元年(1764)三浦明次が勝山に移封して間もない安永元年(1772)に祈願所ときめてから明治初年までながく歴代藩主の崇敬が続いた。 明治16年(1883)8月垂水神社と改称。明治40年(1907)10月神饌幣帛供進神社に指定。 昭和4年(1929)1月10日郷社に列す。
大己貴神(おおなむちのかみ) 応神天皇(おうじんてんのう)
旧郷社
10月21日
夏越祭:7月25日