当地は、切敷川を東に望む大宮台地に位置する。地名は伝説によると、昔、素盞嗚尊と奇稲田姫尊が出雲国からやって来たとき、当地で休み、素盞嗚尊が奇稲田姫尊の髪を櫛で整えたことに由来するという。
『風土記稿』には「氷川社 大宮の氷川を勧請せし由なれどその年暦等はつまびらかならず、末社 八幡社 疱瘡神社 稲荷社 天王社 荒脛社 山神社 三島社」とある。また、明治三年の『大宮組合神社細詳取調帳』には「南向両社造 村鎮守 神体幣帛 社ノ艮ニ小池アリ」とある。この中にある小池は現在ないが、かつて当社の湧水の祭祀にかかわりがあったと考えられる。
明治四十年六月五日、「日進神社」に合祀されるが、大正三年三月、現在地に遥拝所を建立して祭祀を続けた。その後、氏子の要望により社殿の再建を決議し、拝殿・参集所を造営した。昭和五十一年十二月十七日、新たに設立の手続きを経て日進神社より神霊を奉遷し、社号を櫛引氷川神社と定めた。
幕末から明治初期にかけて当社の神職を務めた渋谷勝平は、幼少のころから書に親しみ和歌を学び、平田篤胤の門人藤原直彦に師事し、平正彦と号した。また、中林勝平とも称し、平春堂という私塾を開設した。なお、当社境内には、平正彦の筆子碑が残る。(「埼玉の神社」より)