あかもん せんねんじ
兵庫県尼崎市寺町12
当寺は、1177(治承元)年、法然上人に深く帰依していた平重盛(平清盛の長男)が、神崎川の河口の地の東長洲(中でも現在の尼崎市杭瀬北新町三丁目から長洲中通二丁目あたりと思われる)の地に建立しました。..
当寺は、1177(治承元)年、法然上人に深く帰依していた平重盛(平清盛の長男)が、神崎川の河口の地の東長洲(中でも現在の尼崎市杭瀬北新町三丁目から長洲中通二丁目あたりと思われる)の地に建立しました。開山にあたっては、法然上人の高弟のひとりであった、西仙房心寂を招いたと伝えられております。しかし、残念ながらわずか二年後の1179(治承三)年に重盛が亡くなります。残された当寺は、その直後、朝廷より、建立者重盛の菩提を弔う寺(菩提所)とされ、そして同時に、内大臣まで務めた重盛の生前の朝廷(政権)における功績により、朝廷より堂舎への丹塗り(朱塗り)を施すことを許されました。これが当寺の赤門の由来です。現在地へは、江戸初期の1617(元和三)年からの戸田氏鉄(うじかね)による尼崎城下町の建設に伴って、東長洲よりこの現在地へ移転してきました。
十劫山(じっこうざん)
浄土宗
1177年(治承元年)
阿弥陀如来
西仙房 心寂(せいせんぼうしんじゃく)上人
平 重盛(たいらのしげもり)公
1580年頃
天誉滴翠(てんよてきすい)上人
阪神尼崎駅から南西へ徒歩8分