だいりんじ
山口県山口市朝倉町3-14
当寺建立の由来は、荒廃していた吉敷郡・小俣村楞厳寺の堂宇を萩藩毛利家家臣である朝倉村の領主・12代宍道就晴1667-1732[1]が父・宍道式部就旨1617-1686の菩提寺「大林寺」として11代宍..
当寺建立の由来は、荒廃していた吉敷郡・小俣村楞厳寺の堂宇を萩藩毛利家家臣である朝倉村の領主・12代宍道就晴1667-1732[1]が父・宍道式部就旨1617-1686の菩提寺「大林寺」として11代宍道就旨の法名「一真院殿大林宗槐居士」の中の大林を引用し、大林寺の本寺である萩の亨徳寺の三江祖元大和尚を招請して中興開山した。
宍道就旨が死亡したのは貞享3年168612月4日(70歳)で旧墓地は萩城内にあった洞春寺に葬られていたが、宝永元年1704にこの山口の大林寺に改葬し、開基とした。
尚、毛利元就に仕えたのは8代宍道隆慶?-1584で、18代宍道治平の明治4年の萩藩・廃藩まで「寄組」として職責を果たしていた。 当寺は周防三十三番札所の一つの三十弐番の札所で、境内には大内家時代、鴻嶺[2]の後の岩戸平にあった観音堂をその後大林寺の開山と共にこの地に降ろした観音堂があり、御本尊は十一面観音で県の有形文化財とされ、33年に一度のご開帳となっている。
昭和8年8月に本堂庫裡から出火で御本尊を除く全てを焼失し、その後本堂・位牌堂・庫裡を改築したが、急遽近隣の廃寺材で再興したため、老朽化が激しく、更に平成9年に庫裡を改築し、平成26年5月本堂・客殿等を改築し現在に至った。
岩戸山
曹洞宗
十一面観音
周防国三十三観音霊場 32番札所
有り