あやかねかんのんこんせんじ
福島県喜多方市豊川町米室綾金155
観音堂は鎌倉時代末期の元弘元年(1331)に葦名家5代当主芦名盛宗によって造営されたと伝えられています。盛宗は永仁2年(1294)に黒川諏方神社(会津大鎮守六社:福島県会津若松市本町)を創建してる事..
観音堂は鎌倉時代末期の元弘元年(1331)に葦名家5代当主芦名盛宗によって造営されたと伝えられています。盛宗は永仁2年(1294)に黒川諏方神社(会津大鎮守六社:福島県会津若松市本町)を創建してる事から積極的に領内整備を行っていた事が窺えます。芦名氏の庇護もあり最盛期には20余の僧房を擁する大寺院として寺運も隆盛しましたが、天正年間(1573~1593年)の兵火(天正18年:1589年の摺上原の戦いと思われます)により多くの堂宇、記録、寺宝などが焼失、庇護者だった芦名氏も伊達政宗に追われ常陸国(現在の茨城県)に逃れた事から衰微しました。
江戸時代初期の寛文年間(1661~1672年)に石伝和尚が再興し現在に至っています。別当寺院である金泉寺は寛永年間(1624~1645年)に慶徳寺六世高照和尚を招いて開山し、地蔵尊像を本尊とする曹洞宗の寺院です。
長流山
曹洞宗
十一面観世音菩薩
綾金観音堂、長流山 金泉寺(廃寺)
会津三十三観音霊場 第三番札所