ふなたまじんじゃ
鹿児島県鹿児島市新屋敷町5-15
社記によれば、江戸藩政時代の官船を置く役所一帯を御船手と呼び、役人・町民・船鍛冶・船手等が住み一国をなすほどの賑やかさであったという。この守護神として官民の信仰をあつめたのが当社の前身で、慶安以前の..
社記によれば、江戸藩政時代の官船を置く役所一帯を御船手と呼び、役人・町民・船鍛冶・船手等が住み一国をなすほどの賑やかさであったという。この守護神として官民の信仰をあつめたのが当社の前身で、慶安以前の地図には船魂廟とみえる。
明暦三年、鶴丸城の東北、今の春日神社の畔に御船手は移され、稲荷川河口から滑川あたりにかけて相当大きな港町ができ、本田出羽守が社司を掌った。
貞享五年戊辰二月十八日、十九代寛陽公が正式に船の海上往来擁護のため勧請されたが、その後度重なる洪水のため川底が浅くなり、大量の砂が堆積して大型船の出入りが不自由になったので、新しく港を求め武村、今の新屋敷甲突川河口に薩英戦争以後遷され、現在に至る。
また、昭和十年の鹿児島県神職会編輯の「神社誌」には、大正五年八月八日住吉神社を船魂神社に改称とも記されている。
現在でも交通航海、土木開業、農林水産業海運等生活守護の神として広く崇敬をうける由緒ある神社である。 (鹿児島県神社庁HPより)