ごくらくじ
群馬県前橋市亀里町604-1
歴史・沿革 成菩提山光明院極樂寺は、天台宗総本山延暦寺に属します。貞観六年(864年)正月十四日慈覚大師円仁の開基とされ、寿永元年(1182年)心猷上人の代に至って、源頼朝公が常盤御前菩提の為に当..
歴史・沿革 成菩提山光明院極樂寺は、天台宗総本山延暦寺に属します。貞観六年(864年)正月十四日慈覚大師円仁の開基とされ、寿永元年(1182年)心猷上人の代に至って、源頼朝公が常盤御前菩提の為に当院を建立した。その後、建久四年(1193年)十月十一日に頼朝公所持の阿弥陀如来像(行基作)を下賜されて、常盤御前の廟を修営し、一碑を建立し寺家領を附して常盤御前の冥福を永く祈願したといいます。当山を古くは常盤山と号したことも伝えられています。往時の人は常盤御前の霊を崇め、常盤御前の碑に接し環濠を周して常盤弁財天堂を建立し尊崇していましたが、明治の末に取り壊されたと云います。
室町時代には、五輪塔、板碑、宝篋印塔が当時の豪族によって建立されました。また、現存する金剛界曼荼羅等から本寺において法儀が盛んに行われ、特に密教の灌頂道場としての役割を担っていたことがわかります。
徳川時代には三代将軍家光公より天下御祈祷の寺として朱印三十五石を受けて江戸時代の末期に及び、慶安二年(1649年)の朱印状を始めとし八通が現存します。当時は縦横に環濠を巡らせて境内地一町余りを有し、客殿(本堂)、万日堂(念仏堂)、薬師堂、山王宮、弁財天堂、鐘楼堂、門三ヶ所、庫裡、下庫裡の諸堂宇が建ち、塔頭には来迎坊、安養坊、多門坊、住持坊、地蔵坊の五坊有し力丸に法楽寺、矢嶋に西福院、龍門に常蔵院、阿内宿に円明院等の門徒一寺三院を有し甚だ規模広大な寺格でありました。
明治に至って政令による廃仏毀釈が行われるに及んで、無住となった時もあり往時の建物は荒廃し、寺の什仏等も多く散逸したようでありますが、次第に先徳と檀徒の有識者によって護持されてきました。 終戦後さらに多くの寺有財産が解放されましたが、幸い檀徒の篤い信仰心によって支えられ現在に至ってます。
成菩提山
光明院
天台宗
864年 (貞観六年)
阿弥陀如来
慈覚大師円仁
・関東百八地蔵尊霊場(第二十五番札所) ・関東九十一薬師霊場(第四十一番札所)
北関東自動車道 前橋南ICより 約5分
無料
有り