れんこうじ
三重県亀山市阿野田町2246
当寺境内の観音堂に安置されている十一面観音は、恵心僧都の作と伝え、もとは安養寺にお祀りされていました。安養寺は浄土宗の寺院で、慶長年間の火災で堂宇の悉くを焼失しましたが、幸にも十一面観音は救い出さ..
当寺境内の観音堂に安置されている十一面観音は、恵心僧都の作と伝え、もとは安養寺にお祀りされていました。安養寺は浄土宗の寺院で、慶長年間の火災で堂宇の悉くを焼失しましたが、幸にも十一面観音は救い出されて地元の人々により手厚くお守りされていました。 寛文9年(1669)板倉重常が亀山城主として入城の後、代々の城主やその令室の信仰が厚く香華・灯明料が度々寄進されました。さらに重常の正室照光院(俗名・筆子)は観音に深く帰依し、元禄8年(1695)今の天神地区に堂宇を移して法華宗に改め、寺号も慈眼寺と改称し、野村の照光寺の末寺となりました。 しかし、明治維新の際、無住・無檀の慈眼寺は廃寺となり、諸堂は取り壊しを余儀なくされ、二体の十一面観音像の一体は他の仏像や什物とともに照光寺に移されましたが、一体の十一面観音像は蓮光寺の境内に観音堂を建立してお祀りすることにしました。 その観音堂も老朽化したために地区の人々の浄財を仰いで、昭和57年に檜造りの観音堂を新築竣工し、3月17日に慶讃開扉の大法会が営まれました。山門前の「伊勢国三十三所第十九番札所」の石塔はこれを記念して建てられたものです。 なお、この十一面観音立像は、亀山市の文化財に指定されています。 ( 伊勢西国三十三所観音巡礼公式HPより引用)
榊宮山
文定院
天台真盛宗
十一面観世音菩薩
「伊勢西国三十三所観音霊場」元19番札所
随時
無し
約20分