だいえんじ
福岡県八女市星野村土穴2702
大円寺の開基は、現存する版木に神亀2年(725)と刻まれていて、 御本尊の十一面観音菩薩は行基の作と伝えられています。 奈良時代の星野谷は、太宰府観世音寺の寺領であったことから、その末寺として支配の..
大円寺の開基は、現存する版木に神亀2年(725)と刻まれていて、 御本尊の十一面観音菩薩は行基の作と伝えられています。 奈良時代の星野谷は、太宰府観世音寺の寺領であったことから、その末寺として支配の役割を担って開かれたといわれています。 草創期の奈良時代には、律宗や成律宗の時期もあったようですが、 平安時代の天長9年(823)に真言宗となり、 さらに鎌倉時代の弘安2年(1279)になって、 大慈寺(現熊本市南区)を開いた寒厳義尹かんげんぎぎ禅師によって曹洞宗となり、 現在に至っております。 鎌倉時代のはじめ、星野氏初代胤実公が星野谷に入封以来は、 一族の菩提所として七堂伽藍と光照院、宰領院、廣厳院、起塔院、曇林院、 松月院、香月院、優長院の八院を構えて、 さらに村内各所に光延・高徳庵、縫尾・高雲庵、高野・千手庵、 中原・梅林庵、尾原・千福寺、小野・宝正寺、本星野・佛光寺、 千々岩・法福寺、仁田原・息災庵(息笑庵)、浦・開蔵庵など、 数多くの末寺を擁していたことや、 版木の境内絵図などから、 現在の土穴集落がすべて境内地に含まれていたであろうことはもちろん、 星野谷の全域に大きな勢力を持っていたことをうかがい知ることができます。
玉水山
曹洞宗
神亀2年(725)
十一面観音菩薩