ちょうせんいん
東京都江東区三好1丁目6-3
長専院の開基は德川四天王の一人、榊原康政の孫の榊原忠次で、開祖は命誉圓壽。 長専院は霊巌寺のもと別院で、万治元年(1658)に明暦の大火のため、当地に替地を拝領した霊巌寺とともに移転。霊巌寺の創建..
長専院の開基は德川四天王の一人、榊原康政の孫の榊原忠次で、開祖は命誉圓壽。 長専院は霊巌寺のもと別院で、万治元年(1658)に明暦の大火のため、当地に替地を拝領した霊巌寺とともに移転。霊巌寺の創建は寛永元年(1624)といわてますので、長専院の創建も同じくらいの時期と思われます。 出世不動尊はもともと近江三井寺の始祖である智証大師護持の像で、後に、三井寺の不動堂住職の期妙法師が護持するようになります。 ある日、期妙法師の夢の中にお不動様が現れ、「手助けのため、江戸に連れて行くように」とお告げがありました。その頃、江戸では幕府から寺の建立を許されていたけれど、湿地帯の埋め立てに難儀していました。しかし、夢のお告げどおり、江戸に運ばれたお不動様のお堂を建て、安置してからは順調に工事が進むのでした。
浄土宗
寛永元年(1624)
阿弥陀如来
命誉圓壽
榊原忠次
出世不動尊
清澄白河駅