たかやじんじゃ
宮崎県宮崎市村角町橘尊1975
創建は、古老の伝えるところによれば、一〇七代後陽成天皇慶長十六年(1611)社殿改造の棟木あり、また仁明天皇嘉祥二年(849)当宮の祠官となった旧社家の系図があることから、その古いことがうかがえる。..
創建は、古老の伝えるところによれば、一〇七代後陽成天皇慶長十六年(1611)社殿改造の棟木あり、また仁明天皇嘉祥二年(849)当宮の祠官となった旧社家の系図があることから、その古いことがうかがえる。 当社西方の小高い処は、彦火々出見命の山陵と言い伝え、「日本書紀」にいう「日向の高屋の小陵に葬る」とあるのは当地であると伝える。また景行天皇が六年間ご駐輦された高屋行宮址とも伝えている。このことは「日向五郡八院旧元集」に、「景行天皇が十一月日向の国に到り行宮を起こしてここに居たまう。これを高屋宮という。武内宿祢、彦火々出見命の山陵を知り、そこで御鎮座を定めた。これが村角高屋八幡宮である。」と書かれている。 山陵付近には命にちなむ地名が残っている。竹園(たけぞん)は、命のご降誕の時その臍の緒を切った竹刀を投げた所と伝える。袍ノ園(いやんそん)は、命の臍の緒を切った所と伝える。安園(やすぞん)は、命のご降誕の地と伝える。その他、天神川・御手洗川、犬ヶ城等の地名が残っている。 当社はもともと高野(高屋)八幡宮と称していたが、宝暦時代以降高屋宮と称するようになり、明治になって高屋神社と称し現在に至る。
彦火々出見命(ひこほほでみのみこと) 豊玉姫命(とよたまひめのみこと) 景行天皇(けいこうてんのう)
不詳
本殿(流造)6坪 拝殿(入母屋造)15坪
11月23日
3月 社日祭(神楽奉納) 春神楽は村角神楽と呼ばれ、五穀豊穣や厄祓を祈念して舞われる。当日は三十三番の演目のうち十八番が奉納される。
宮崎市無形民俗文化財 高屋神社神楽 平成28年3月指定
JR蓮ヶ池駅より車で約10分
有