やくらいじんじゃ
宮城県加美郡加美町上野目大宮7
当社は天平九年(737年)鎮守府将軍大野東人が軍事輸送の為に色麻柵より出羽国に至る通称「玉野道路」を開いた時、悪疫が流行し多くの兵士や人夫が斃れたので、将軍は薬萊山上に医薬の守護神として大己貴神、少..
当社は天平九年(737年)鎮守府将軍大野東人が軍事輸送の為に色麻柵より出羽国に至る通称「玉野道路」を開いた時、悪疫が流行し多くの兵士や人夫が斃れたので、将軍は薬萊山上に医薬の守護神として大己貴神、少彦名神を祀り、病気の鎮伏と工事の完成を祈願し無事工事を終えたと伝えられ、これが当社創建の事となっております。
大己貴神・少彦名神
737年(天平9年)