むれしんめいしゃ
東京都三鷹市牟礼2-6-12
1537(天文6)年7月、扇谷上杉家当主・上杉朝定は、北条氏侵攻に対する防衛線かつ江戸城奪還の拠点とすべく、老臣・難波田弾正憲重を深大寺城に配置、増強を図る。 北條氏綱は家臣の北條治部少輔綱種(江..
1537(天文6)年7月、扇谷上杉家当主・上杉朝定は、北条氏侵攻に対する防衛線かつ江戸城奪還の拠点とすべく、老臣・難波田弾正憲重を深大寺城に配置、増強を図る。 北條氏綱は家臣の北條治部少輔綱種(江戸城主・のちに北條綱高と改名)に、深大寺城への備えとして牟礼と烏山(世田谷区)へ砦を築くよう命じた。 綱種は元の名を高橋将監種政といい、牟礼高橋氏の祖である。 数々の武功により北條姓を賜ったが、牟礼を開墾した子息・北條常陸之介康種の代に高橋姓に復した。 1537(天文6)年11月15日、綱種は牟礼に築いた陣内鎮護のため、芝・飯倉神明宮(現・芝大神宮)の御分霊を勧請し、現在の鎮座地である高番山に祀った。 1868(明治元)年、太政官布告神仏判然令に基づき、稲荷山(高山)に祀られていた稲荷神社が氏子の総意によって合祀されている。
天照皇大神 倉稲魂大神
旧村社
天文六年(1537年)
10月第一日曜日
京王井の頭線三鷹台駅より徒歩10分
有り