じょうらくじ
栃木県下都賀郡壬生町本丸1丁目1−30
常楽寺は、室町中期寛正三年(西暦一四六二年)壬生初代城主壬生筑後守胤業公が、寺領二十六石を寄進して創建した曹洞宗の寺院です。開山和尚は、道元禅師から数えて十世の法孫一州正伊禅師であり、壬生氏一門の氏..
常楽寺は、室町中期寛正三年(西暦一四六二年)壬生初代城主壬生筑後守胤業公が、寺領二十六石を寄進して創建した曹洞宗の寺院です。開山和尚は、道元禅師から数えて十世の法孫一州正伊禅師であり、壬生氏一門の氏寺として栄えました。一五九〇年に壬生氏が絶えて後も、壬生氏の家臣や歴代の壬生城主に庇護され、一七一二年に壬生城主となった鳥居忠英公の帰依を受けて後は、鳥居家の菩提寺として篤く護持されてまいりました。
当寺には、「鳥居元忠公」「鳥居忠英公」の肖像画や文書類の歴史的資料、壬生家歴代の墓地や鳥居家墓地、壬生藩の蘭学医「斎藤玄昌」一門の墓地等の史跡、境内鎮守の三日月尊天と壬生の豪商加藤作太夫の逸話など、様々な事物が伝わっております。また、一七三八年、二十世光海本瑞和尚の時、京の陶工尾形乾山が来寺して作歌作陶致しました。これは京都壬生氏出身の具慶尼の庵を訪ねての事で、一ヶ月半程滞在致しました。それを記念した乾山の歌碑がございます。
当寺は下野の国壬生の歴史に深く関わってまいりました、古の壬生の面影を今に伝える古刹なのです。
常樂寺の現在の本堂は、一八二〇年に火災に見舞われて後、一八五〇年に再建されたもので欅作り荘厳な伽藍です。
壬生氏初代壬生筑後胤業公が創建。後の壬生城主・鳥居家の菩提寺ともなった。山門をくぐって右側には、尾形乾山(尾形光琳の弟)の碑があり「ふくろ鳴く壬生のうら山時雨きて、みのきるむれの立ち騒ぐ見ゆ」と刻まれている。
向陽山
曹洞宗
寛正3年(1462年)
釈迦如来
一州正伊
壬生胤業
東武宇都宮線壬生駅より徒歩約13分
有り