じょうらくじ(まんがでら)
神奈川県川崎市中原区宮内4-12-14
日本が竹やりで戦争していたころ日本漫画奉行会のサムライ35名が川崎市電の建設勤労奉仕に駆り出され、これがご縁となってマンガも戦力にと名所を巡り優良産業戦士の似顔絵を描きお米の休出の良い農家にマンガ..
日本が竹やりで戦争していたころ日本漫画奉行会のサムライ35名が川崎市電の建設勤労奉仕に駆り出され、これがご縁となってマンガも戦力にと名所を巡り優良産業戦士の似顔絵を描きお米の休出の良い農家にマンガの色紙を贈りました。この仕事のお先棒を担いだのが若き日のマンガ寺の和尚でした。 お説教の出来ない和尚はマンガの説教力に魅せられてマンガのトリコになってしましました。 当寺は平治元年(1159)に宮中の祈願所となり、その境内は沢山の珍しい樹に包まれて野鳥の極楽地でもあり、川崎市の史跡と天然記念物に指定されています。元禄2年(1689)に再建された本堂を解体修復し、その完成した時が明治100年にあたりましたので、前記35名の漫画家のうち生き残りの漫画界の大先輩が音頭とりで本堂65坪を楽しい漫画で一杯にしてやろうと奉納してくれました。人呼んでマンガ山常楽寺、その作品はふすま88枚、壁画50余点は弘法大師の絵伝記12枚のほか明治元年から昭和までの歴史世相を楽しく描いています。執筆家400を超え、作品2000点以上、その他徳川夢声筆のまんが塚、日本漫画の始祖・北川楽天、岡本一平の自画像の碑などがあり、マンガによって世の中を明るくしたい、マンガによってお寺をこの世の極楽浄土にしたいという前住職の悲願をご理解いただき、マンガの功徳にあやからんことを敬って白す。
春日山
医王院
真言宗
智山派
天延3年 (975年)
聖観世音菩薩
行基
春日山 医王院 常楽寺
まんが寺
玉川八十八ヶ所霊場 第26番札所