せいがんじ
青森県弘前市新町247
弘前藩初代藩主となった津軽為信が母親の菩提を弔う為、岌貞上人を招いて開山したのが始まりと伝えられています。以来、誓願寺は津軽家から庇護され寺運も隆盛し領内浄土宗寺院四ヶ方丈(誓願寺・貞昌寺・本覚寺・..
弘前藩初代藩主となった津軽為信が母親の菩提を弔う為、岌貞上人を招いて開山したのが始まりと伝えられています。以来、誓願寺は津軽家から庇護され寺運も隆盛し領内浄土宗寺院四ヶ方丈(誓願寺・貞昌寺・本覚寺・法王寺)の格式を得て寺領30石を安堵されました。岌貞上人は2代藩主津軽信枚とも親交が深く、元和元年(1615年)弘前城築城に際し、城の西側の守りとして大光寺村(現在の平川市)から現在地に移され大伽藍が造営されたと伝えられています
光明山
浄土宗
慶長元年(1596年)大光寺村(平川市)に創立
阿弥陀如来
山門-江戸中期-重層、切妻、妻入、こけら葺、四脚門-国指定重要文化財 ・ 図像板碑-応安2年-大浦城出土、高さ130cm-弘前市指定有形文化財 ・ 聖観音石像-寛文11年-総高82cm、像高66cm-弘前市指定有形民俗文化財
有ります。