かめおかはちまんぐう
神奈川県逗子市逗子5丁目2
逗子駅前、逗子市役所に隣接する逗子の総鎮守。しかし、その歴史はよくわかっていない。記録上残っているのは天保一二年(一八四一)の「新編相模国風土記稿」で『村の鎮守なり、本地佛を置く、三尊彌陀の木像を銕..
逗子駅前、逗子市役所に隣接する逗子の総鎮守。しかし、その歴史はよくわかっていない。記録上残っているのは天保一二年(一八四一)の「新編相模国風土記稿」で『村の鎮守なり、本地佛を置く、三尊彌陀の木像を銕(テツ)面に打付けしものなり。延命寺持』とだけ記録がある。
江戸時代は近くの延命寺が別当として管理をし、ただ「八幡社」とだけ名乗っていた。鎌倉の鶴岡八幡宮に対して亀岡八幡宮と名付けられたとされているが、亀岡となったのがいつの頃からかは判明していない。資料「逗子市内の地名調査報告書」P58には地元の方々と調査員らによる座談会として『「亀ヶ岡」と言い出したのはわりと新しく、江戸時代はただ「八幡社」で村の鎮守だった。(後略)」「鎌倉の鶴ヶ岡の八幡さまを意識してたんでしょうかね」』とある。昭和二十八年に神社本庁に「亀岡八幡神社」と登録されたというので、おそらく亀岡を名乗ったのは明治~昭和初期にかけてのことだろうと思われる。
亀岡を称する八幡宮は日本各地にあり、東京市ヶ谷の市谷亀岡八幡宮は太田道灌が鶴岡八幡宮から勧請して亀岡を名乗ったと伝わり、栃木県益子の亀岡八幡宮は源義家が前九年の役の際に戦勝を祈願したところ亀が現れたというエピソードにちなみ、兵庫県淡路島の阿万亀岡八幡宮も鶴岡八幡宮にちなんで名付けられたという。
亀岡八幡宮の創建年代等は不詳ながら、逗子村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、大正8年には神饌幣帛料供進神社に指定されていました。現社号の「亀岡」は、当地が亀の甲羅に似たなだらかな岡だったことから称呼する...
応神天皇
不詳
例大祭 7月16日
京浜急行新逗子駅北口2番出口を出てすぐです。 JR逗子駅から新逗子駅方面へ徒歩5分位です。
なし