ぜんこうじ(もとぜんこうじ)
大阪府八尾市垣内4-41
第33代推古天皇の御代に、信濃国の住人本田善光(信州善光寺開基)が都へ上がり、大和国豊浦の里、難波の堀江に於いて一光三尊の阿弥陀如来(善光寺如来)を感得しました。之を背に負い信濃へ帰る途中、信貴山を..
第33代推古天皇の御代に、信濃国の住人本田善光(信州善光寺開基)が都へ上がり、大和国豊浦の里、難波の堀江に於いて一光三尊の阿弥陀如来(善光寺如来)を感得しました。之を背に負い信濃へ帰る途中、信貴山を超えて当地に立寄り逗留しました。その際、近隣の人々が集まり来たって如来と共におこもりをしましたが、翌朝不思議なことに如来のお姿は2体にお分かれになっていました。善光は当地にこの御分身如来を安置することにしました。これが当寺の濫觴です。当地では俗称「元善光寺」といいます。
不断山
融通念仏宗
大化元年(645年)
一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)
河内西国霊場第13番