厳島神社の由来
高畠城は、平安時代の終わり頃、承安年間(一一七一年~)に奥州藤原氏の一族によって築かれ、城の鬼門(北東)に陸奥国金華山より分神した「弁財天」を祀ったと伝えられています。
その後、元禄二年(一六八九年)屋代郷の幕府直轄地編入によって弁財天は空宮になり、明和四年(一七六七)高畠村以下六ヶ村外が織田氏領になると、城内の弁財天で「ご祈祷」が行われるようになりました。従って、その頃お宮は再興されたものと思われます。明治の初め「厳島神社」となり、同二十年に現在地に移転鎮座しました。
「弁天様」と呼ばれ、親しまれている厳島神社は、歌舞、弁才、財福の神様として多くの人々の信仰を集めています。