創立年代不明。往古より高良大明神と称し旧尚徳村字宮田に鎮座していた。
享保3年(1718)、法勝寺川の洪水以降しばしば水害にあったので、享保21年(1736)、現在地に神殿を造、奉遷した。明治初年高良神社と改称した。
合祭保食神は文久元年(1861)、出雲国縄久利神社より勧請し、字神日原に鎮座。猿田彦神は摂社で字新屋敷に鎮座。天照大御神(御崎神)は字内街道に鎮座していたのを元治元年(1864)境内に移し末社としていた。天津彦火瓊々岐尊・誉田別尊は摂社で字神日原に鎮座していたのを、享保20年(1735)境内に移し末社としていた。いずれも明治元年の合祀である。
『伯耆誌』は当社について「山城の高良社(石清水八幡宮摂社)を祭れるなるべし」と記している。