当社の由緒については、古老の口碑として(『大原町誌』)伝えられる事柄を要約すると、《昔、日本武尊が東征の折、この丘上で、土民多数と昇る朝日を拝したので、土民が小祠を建て「日の大神」を祭った。またその後、貞観年間に「月の神」を祭り、合せて日月の宮と称した。これが日月神社の始めでこの地を日月谷と呼んでいる。同時に祠を建てて尊及び武甕槌命を祭ったが、これが滝内神社(大井)並びに鹿島神社(貝須賀)であるという。》
この三社を、古来上座三社又は単にカミとも称して、今なお三社行事を同じくし相援け相親しむ風が残っている。(「大原町史」より)