室町時代、現本殿の蟇股(カエルマタ・桃山様式)は、当時の儘の蟇股を残しております。蟇股は藤井寺市内では、最古の物であり神仏習合社の証でもあります。又、元禄5年(1693)「寺社数改帳」に志紀郡小山村の守護神、小山牛頭天王と隣接するお寺天王山「清圓寺」が記載され、神社神紋、清圓寺仏紋も同じく五仏に唐花と成っております。清圓寺の屋根等をご覧下さい。尚、祀り事は、大正後期まで清圓寺住職により行われておりました。
明治維新(神仏判然令)、明治12年以降の本殿、御神鏡裏には河内小山坐、進雄(スサノオ)神社鏡と記されおります。
その後、昭和17年寄進石碑に産土神社(生まれた土地の神)と神社前にありますが、神社庁記載には、戦後の昭和27年頃に産土神社としております。