おおなかいひかわじんじゃ
埼玉県川越市大中居671
(現地御由緒書きより) 当社は五穀豊穣祈願神社として荒川・入間川の乱流地域にあることからその鎮めのために祀られたお社です。「大中居」氷川神社の創建の時期については次のように伝えています。
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埼玉県神社庁刊行(昭和六十一[一九八六]年) 『埼玉の神社』に「口碑によると喜多院にあった氷川神社を勧請」と明記されています。「喜多院」というお寺の名称は、慶長十 (一六〇五)年に徳川家康が、これまでの「北院」に好字を当て「喜多院」とした歴史があります。また、三代将軍家光の時代、寛永十五(一六三八)年の川越大火で喜多院が山門以外全て類焼しました。その後喜多院の復興で氷川神社も建てられたのでしょう。
②当社に保存されている幣串台に延宝三(一六七五)年五月の明記があります。
③文化七(一八一〇)年に着手し、文政十一(一八二八)年成立した『新編武蔵風土記稿』の「 大中居村」の項に「氷川社」とあります。
④天保十二(一八四一)年の「喜多院境内図」には 「氷川社」が描かれております。
以上の点から、「大中居」の氷川神社 (氷川社)は喜多院と関係をもちながら、江戸時代前期に創建され、祀られたお社と考えられます。又、本殿は建築史の面からも江戸彫の技術を伝える貴重な文化財です。