やさかじんじゃ
奈良県吉野郡天川村南日裏164
八坂神社のご神体は、木造の牛に乗った牛頭天王像と牛頭天土座像のご像であり、制作は平安時代とみられるが、作者は不明である。ご神体である牛頭天王は、インドの神にして仏教の聖地である祇園精舎(釈迦が永住し..
八坂神社のご神体は、木造の牛に乗った牛頭天王像と牛頭天土座像のご像であり、制作は平安時代とみられるが、作者は不明である。ご神体である牛頭天王は、インドの神にして仏教の聖地である祇園精舎(釈迦が永住して教えを説いたと伝えられるとろ)を守護とする神と伝えられている。 究極の悟りの教えを説く釈迦(釈尊)に舎衛城に住む長者の須達多は、その布教の場所を提供した。それが「祇給孤独園」略して祇園である。これが伝説「阿弥陀経」が伝える「祇園」の起源である。 祇園精舎の守護神とされているのが牛頭天王で、もともとはインドにあった牛頭山から採られた名前のようです。牛頭山には薬としての牛頭梅地獄が多く生え「牛頭」という名前と病気を治すという医薬との結びつきが生じたと言われている。「牛頭大王」も「祇園」も、きわめて仏教的な起源の成り立ちをもち、それが明治の神仏分離を唄えた学者たちに外来の仏教的なものとして忌避された。だが、氏子の人々は明治以降の名称である八坂神社と呼ぶよりは、以前のとおり祇園と呼び絢爛たる祇園祭りを氏子の力で盛大に行って来た。決して八坂さん、八坂祭りではなかったのであるが時代の変革に伴い、祇園さんの声は少なくなって来ている。 いつの時代からかは不明ですが、二月三日節分のとき、鰯の頭と柊の葉とともに玄関に飾る風習があり、今も住民の手で続けられている。説話のなかで教えられた疫病除け、魔除けの呪物である。腐ったの悪臭に閉口した魔物が、それを飾られた門を避けていくと居じている。まさに「鯛の頭も心から」の例えである。又、注連縄飾りを正月毎に玄関前に飾るという風習があることは、伊勢神宮のお膝元である二見浦に牛頭天王御の痕跡がある。二見町内の家庭はもちろんであるが、八坂神社氏子の間でもきわめて根強くこの風習を残している。一般的には注連縄飾りは正月に新しい物を飾り、正月が過ぎるとトンド焼きなどをして燃やしてしまうのだが、この地では一年中門前に飾る。もともと注連縄飾りとしてよりもお守りとしての意味を持っている。牛頭天王仰とともにきわめて早い時期に氏子来は伊勢講を組織し伊勢参りによって牛頭天王をじ拝していたことは明らかである。氏子来は、だびたび伊勢神宮の聖地に向かって参拝できるようにと境内の東方に伊勢神宮遙拝所が設けられている。 -現地案内板による
素戔嗚尊 牛頭天王
南日裏バス停 から徒歩1分(62m)