ぜんきゅうじ
北海道上川郡美瑛町旭町2-1-28
開創中村喆禅(師寮寺兵庫県)は、大休寺七世に神田寛量師(広島県)が招せられ本堂建立を発願せられた際、清浄大海衆となり意気投合する間柄の縁あって手助けに請され大休寺に掛錫す(明治末)。大正七年、遠縁に..
開創中村喆禅(師寮寺兵庫県)は、大休寺七世に神田寛量師(広島県)が招せられ本堂建立を発願せられた際、清浄大海衆となり意気投合する間柄の縁あって手助けに請され大休寺に掛錫す(明治末)。大正七年、遠縁に当たる日置黙仙禅師が北海道巡錫に随身した折「美瑛に一寺を建立せよ」との言葉が機縁となり美瑛開教を決意。大正九年六月十九日一人の知人もない美瑛村に乳飲み子一人を抱えた妻と三人で下車、裏通りの空き家に草履を脱ぐ。 八月借屋に移り「曹洞宗禅寺創立事務所」の看板を下げ布教活動の第一歩を踏み出す。 托鉢読経三昧を続け「食わずや食わず」の日々を送る。大正十年信者三十 戸に達し、境内地一反一畝を買い付け本堂建立を発願。 僅かの浄財で立木を買い付け有志と共に倒木し流送す。大正十二年五月本堂棟上げに至る。八月十二日「曹洞宗禅寺布教所」の看板掲げる。大正十四年十二月庫裏落成し、御本尊の寄進あって入仏落成法要を執行す。借金は無尽講を起して支払い、妻の針仕事の内職に頼り苦しい十数年が続く。昭和八年機熟し「全休寺」寺号公称す。昭和四十年全伸に住職を譲る。同四十三年本堂を建立。昭和四十四年六月十九日開創五十周年を迎え晋山結制を修行す。同四十七年庫裏建立。同六十二年当時珍しかった檀信徒大広間を持つ納骨堂「大充閣」建立。沢山の人々が集いより所となる寺を目指し多くの活同部会を置き、結果、お参りには満堂の参拝者が集まる寺とした。平成七年六月二十四日遺言であった|宮崎奕保不老閣猊下を懇請し退董。併せて五世晋山結制を置く。全休寺未来永劫の存続を掲げ、 平成十四年庫裏、同十七年地藏堂、同二十六年大充閣、同二十八年本堂を建立する。
無著山
曹洞宗
JR美瑛駅から徒歩12分
有り