しらやまじんじゃ
大阪府守口市大日町2-31-1
明治維新まで境内に、禅宗白山寺があり、社僧が当社に奉仕し、社号を白山妙理大権 現神社と称し、厄除祈願のため難波荘および近郷より、多数の参拝者があって賑わっていた。 享和元年の『河内名所図会』による..
明治維新まで境内に、禅宗白山寺があり、社僧が当社に奉仕し、社号を白山妙理大権 現神社と称し、厄除祈願のため難波荘および近郷より、多数の参拝者があって賑わっていた。 享和元年の『河内名所図会』によると、当時は行基の作“本地仏正観音”(丈五尺)があったとされるが、神仏分離、廃仏毀釈によるものか、その所在は不明である。 往昔初夏の頃には藤の観賞地として名高く、当社の元地は“藤の森”と呼ばれ、また杜若の名所として知られていた。現在は「藤之森」の石碑が建ち、社地として保存されている。 この元地より現在地に移った時期は不明であるが、元禄十年の灯籠、正徳五年の石鳥居、享保十一年の手水鉢があり、元禄から享保年間にかけての興隆がしのばれ、本殿二社が江戸時代中期頃の細部様式を保つため、江戸初期から中期にかけて現在地に遷座されたと思惟される。 明治九年十一月に御社殿を改築した際、鳥居の額字を有栖川親王に請い、白山妙理大権現の額を掲げた。現今社殿は明治三十四年十月二十日(棟梁 大阪天満宮大工 柳 佶兵衛)御造営が成り、盛大に正遷宮を執行した。境内末社に稲荷神社を祀る。
菊理媛命、伊弉諾命、伊弉冉命、天児屋根命、経津主命、武甕槌命