ほうじょうじんじゃ
大阪府大東市北条5丁目2197
祭神は京都北野神社の御神木で像(菅原道真像)を刻んだものであると、当社の古記録にある。 即ち時(時:平安時代寛弘年中(1004~1012))の天皇の御詔勅に「北野の神木で神像を作り、漂流地に祀るべ..
祭神は京都北野神社の御神木で像(菅原道真像)を刻んだものであると、当社の古記録にある。 即ち時(時:平安時代寛弘年中(1004~1012))の天皇の御詔勅に「北野の神木で神像を作り、漂流地に祀るべし」とあったので数多くの神像を刻み加茂川に流された。 その一体が当村の西の津之辺の浜辺に流れ着いた。その所は森であったので以来その所を明神の森と呼び聖地であるとして、代々お祭りを欠かさなかった。 しかし、この社は平地であるため度々洪水の災いにあった。そこで時代は不明であるが現在地に御遷座された。 明治に合祀された八幡宮は鎌倉時代に、京都男山八幡宮を当村北條の八幡山に勧請した。 戦国期の飯盛城時代この八幡宮は武芸上達の神として武運長久を祈願した。 その後江戸時代に四條村が二つに分れ八幡宮は久具領の産土神となった。 明治五年八幡宮、天満宮の二柱が合祀され、北條神社となった。
明治五年八幡宮、天満宮の二柱が合祀され、北條神社となった。
誉田別命(品陀別命)・菅原道真
10月20日・21日