みつくえじんじゃ
大阪府四條畷市南野6丁目12-1
本社は飯盛山の北麗にして現在の社地より東方にある字宮地に鎮座されていたのが文禄年間清滝の字「城」の堂山の北に移り、元禄十三年現在地に移された。 当社は延喜式内の古社にて起源は奈良町時代と推測され..
本社は飯盛山の北麗にして現在の社地より東方にある字宮地に鎮座されていたのが文禄年間清滝の字「城」の堂山の北に移り、元禄十三年現在地に移された。 当社は延喜式内の古社にて起源は奈良町時代と推測されるが、平安時代の神仏習合により牛頭天王社と称し豊作を祈る水神信仰に基づく神として祀られた。現在の社殿は明治十四年の建築である。三好長慶が飯盛に居城した頃には飯盛城鎮護の神として崇敬も厚かったが、滅亡後現在地に遷宮されたと伝えられている。尚伴信友の神名帳考証には、姓氏録の「河内天孫津彦根命之後也」を引用して御机の机を津夫江ではないかと解している。
素盞鳴命
式内社(小)(河内國讚良郡 御机神社)
夏祭 7月14日 秋祭 10月17日