すいじんじゃ
埼玉県春日部市増田新田
「内牧・幸松・豊野・武里地区の伝説〈春日部市郷土資料館〉」に記されている「増田新田水神社の謂れ」によると、宝永三年(1706)、岩槻藩主小笠原長重より大場沼の埋め立てを命じられた増田彦右衛門は人を集..
「内牧・幸松・豊野・武里地区の伝説〈春日部市郷土資料館〉」に記されている「増田新田水神社の謂れ」によると、宝永三年(1706)、岩槻藩主小笠原長重より大場沼の埋め立てを命じられた増田彦右衛門は人を集め工事に着手するが、突如として沼の水面が波立ち地面も激しく揺れだした為、人々は恐れ慄き工事がままならぬ有様となってしまった。これを聞いた小笠原佐渡守は沼の神の怒りであると思い、自ら沼に赴いて祈りを捧げると沼は鎮まり再び工事に取り掛かれるようになった。こうして沼の埋め立ては完了し無事田圃にすることができたので、神への感謝を捧げる為にこの水神社を建立することにした、と言うことだ。
無し