貞泉寺のあらまし
仏教の開祖釈迦牟尼仏陀が入滅してから約1800年後、鎌倉時代になり、南宋での修行を経て帰国した道元禅師は福井にお寺を建立し、寛元4年(1246年)に永平寺としました。これが日本における曹洞宗(そうとうしゅう)の始まりで、その後各地に末寺が創建され曹洞宗が広がってゆきました。
それから200年程後の長禄3年(1459年、室町時代)、新潟県岩室村にある曹洞宗種月寺二世の月田宗種によって高畠に貞泉寺が創建されました。それから約300年後の明和4年(1767)、織田信長公の末裔で織田家九代目にあたる織田信浮(のぶちか)公が上野小幡城(群馬県)から高畠の地に転封され、貞泉寺は織田家の菩提寺となりました。
現在の貞泉寺に目を転じますと、本堂の欄間には、高山文五郎の作と伝えられる中国の二十四孝をモチーフとした彫刻があります。この欄間と玄関にある一対の木鼻は平成30年3月29日に高畠町の文化財に指定されました。
蔵の中を整理していたところ古い涅槃図が見つかりました。だいぶ痛んでいたので修復した結果見違えるほど立派になりました。常設展示ではありませんが運がよければ涅槃図をご覧頂くことができます。
境内には、古来、夜泣き地蔵と呼ばれてきた子育て地蔵尊堂や「高畠小学校発祥の地」の石碑が建っており、墓地には信長公の直系・信浮の伯父にあたる信常の墓碑、新しくは永代供養塔等がありますので、境内散歩に出掛けてみましょう。
貞泉寺では、檀家の皆様をはじめ一般の方々との絆を深めるため、幾つかのの年間行事を行っています。