まえばしじょう まやばしじょう
群馬県前橋市大手町1丁目1−1
前橋城(まえばしじょう)は、群馬県前橋市(上野国群馬郡)にあった日本の城(平山城)。前橋台地北東縁に築かれた平城で、古くは厩橋城(まやばしじょう)と呼ばれ、関東七名城の一つに数えられた。 城の起源..
前橋城(まえばしじょう)は、群馬県前橋市(上野国群馬郡)にあった日本の城(平山城)。前橋台地北東縁に築かれた平城で、古くは厩橋城(まやばしじょう)と呼ばれ、関東七名城の一つに数えられた。 城の起源については諸説あるが、室町時代中期の15世紀末頃に長野氏の拠点であった箕輪城の支城として築かれた石倉城がその始まりであるとされる。 江戸時代以降、大老酒井忠清を出すほどの名門が置かれたのとは裏腹に、前橋城は利根川の浸食を受け続け、度重なる工事に出費を強いられた。 その後、転封により、酒井氏に代わって前橋藩主となった松平朝矩は、御殿にも川欠の危険が及ぶに至り、幕府の許可を得て前橋城を放棄した。前橋領は川越藩の分領としての陣屋支配となり、前橋城は明和6年(1769年)に破却された。以降、前橋藩ではなく川越藩と呼ぶ。 文久3年(1863年)12月、川越藩主松平直克は幕府の許可を得て前橋城の再築を開始した。領民から献金だけでなく労働奉仕を受け前橋城は竣工、慶応3年(1867年)3月、直克が入城し前橋藩が再興した。 前橋城再建から半年後、大政奉還により江戸幕府は終焉、明治4年(1871年)の廃藩置県により前橋城本丸御殿に前橋県の県庁が置かれたが、他の建屋は取り壊された。群馬県成立後は、昭和3年(1928年)に老朽化で取り壊されるまで、群馬県庁舎として使われた。
●自動車 関越自動車道前橋ICから国道17号経由、約10分 ●公共交通機関 ・JR両毛線前橋駅下車、バス約6分 ・新前橋駅下車、バス約7分 ・中央前橋駅下車、バス約7分
無料
なし(県庁周辺の駐車場を利用)
なし