かしまじんじゃ
宮城県角田市小田字鹿島103
桓武天皇の延暦14年(795)坂上田村麿将軍東征の為陸奥国下向の節常陸国鹿島神宮の分霊を勧請したという。本社は国史見在陸奥国38社の一である。其の証は、清和天皇貞観8年正月20日、常陸国鹿島神宮宮司..
桓武天皇の延暦14年(795)坂上田村麿将軍東征の為陸奥国下向の節常陸国鹿島神宮の分霊を勧請したという。本社は国史見在陸奥国38社の一である。其の証は、清和天皇貞観8年正月20日、常陸国鹿島神宮宮司言ふ、大神の苗裔神38社、陸奥国諸郡に分れ給うた由で其の代から奉祀された社の一であるといわれる。明治5年、村社に列格。同18年社殿焼失の為仮殿を営み、新に官幣大社鹿島神宮から分霊同19年鎮座の儀を行った。
武甕槌命
4月1日
阿武隈急行線 南角田駅から徒歩28分 南角田駅から車で5分
10分
無料
なし