どうごおんせんほんかん
愛媛県松山市道後湯之町5_6
法興6年(596)、聖徳太子は僧恵慈(そうえじ)および葛城臣(かつらぎのおみ)らを従えて道後に来浴された際、明媚な風光と良質の温泉を推賞せられ、これを記念するために、湯の岡に石碑を建立されたと伝わっ..
法興6年(596)、聖徳太子は僧恵慈(そうえじ)および葛城臣(かつらぎのおみ)らを従えて道後に来浴された際、明媚な風光と良質の温泉を推賞せられ、これを記念するために、湯の岡に石碑を建立されたと伝わっています。当時は椿が美しく生い茂り、霊妙な温泉が平等に恩沢(おんたく)をほどこす様はまるで寿国(理想の国)のようだと讃えています。「熟田津にきたつに船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出な」は、斉明天皇(さいめいてんのう)率いる船団が出港するにあたり、額田王(ぬかたのおおきみ)が詠んだ歌といわれています。道後には、斉明天皇のほか、舒明天皇(じょめいてんのう)、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)など、皇室の方々の来訪の記録が残っています。
6:00~23:00
大人:700円 小人:350円
無し
有り